くろくろ便り 天文館界隈をあるく3


繁華街としてのあゆみと「おぎおんさぁ」


江戸時代の天文館地区は、多くの武家屋敷が立ち並んでいました。
飲食店街の「文化通り」はもとは「日置裏門通り」と呼ばれていました。
日置島津家の屋敷の裏門に面していた通りをこう呼んだのです。
繁華街への転機は1878年に訪れます。
西本願寺鹿児島別院がつくられ、門前町の形成がすみ、さらに大正時代になると映画館や喜楽館・明治座といった劇場、喫茶店が集中するようになりました。
1917(大正6)年には、西日本最大規模と言われた山形屋デパートが開業するなど、つねに鹿児島のにぎわいをリードする街として発展してきました。

伝統行事である「おぎおんさぁ」は、繁華街になるほどその規模は大きくなっていきました。
天文館地区の朝日通り電停~高見馬場電停までの県道が歩行者天国となり、「ご神幸行列」は長さ2km、総勢2000人におよび、鹿児島の夏を盛り上げてくれます。

天文館地区は歴史と現在とが出合う繁華街として、日々多くの人たちであふれています。

※著:深見聡(長崎大学県境科学部准教授)
※くろぶたねっと『鹿児島へいらっしゃ~い』第34回より抜粋


八坂神社八坂神社。鹿児島の風物詩「おぎおんさぁ」(鹿児島版祇園祭)はここに由来する

三番神輿の様子おぎおんさぁの三番神輿の様子。祭りの日は天文館地区の電車通りが歩行者天国となり毎年多くの人出でにぎわう。