くろくろ便り 天文館界隈をあるく2


向田邦子のみた鹿児島・天文館


「テンモンカン/テンポザン/知らない人が聞いたら競馬の名前ですかと言われそうだ」とエッセイ「鹿児島感傷旅行」に記した作家・向田邦子。
1939(昭和14)年1月から約2年間を鹿児島市で過ごしたことから、当時の鹿児島のようすが作品の中によく登場します。
音の響きが印象的だったのか、天文館界隈のこともときどき出てきます。

「天文館は、もと島津の殿様が天文学研究のためにつくらせた建物のあったところで、東京でいえば銀座、つまり鹿児島一の繁華街である。」
(「鹿児島感傷旅行」より)

「山形屋デパートで買ってもらった嬉しい思い出は、絞りの着物と一緒にまだはっきり残っている。見違えるように立派になったデパートを除き、素朴な盛り場からこれまた近代的なアーケードに変貌した天文館通りを散歩した」(「鹿児島感傷旅行」より)

天文館の名の通り、もとはここに1773(安永8)年に第8代薩摩藩主島津重豪が開設した天文観測所「天文館」(またの名を、時を明らかにするための館=明時館ともいいます)がありました。
薩摩藩では、江戸時代に幕府が製作していた暦では、作物の生育時期が薩摩の気候の実態とあわないため、特別な許しを得て独自の薩摩暦を利用していたのです。
1871(明治4)年の廃藩置県や、1873年の新暦への切り替えなどにより、天文観測所はその役割を終えました。
しかし、繁華街の名前として”再登板”を果たします。
※著:深見聡(長崎大学県境科学部准教授)
※くろぶたねっと『鹿児島へいらっしゃ~い』第34回より抜粋


山形屋外観1935年頃撮影の山形屋外観。創業は1751年(宝暦元年)地方百貨店の先駆け的存在。(深見聡著「鹿児島の史と景を歩く」表紙カバーより)