くろくろ便り 鹿児島の名産「カステラ」


鹿児島銘菓カステラ


「三国名勝図会」は、1843(天保14)年にまとめられた薩摩藩の地誌書である。
寺社・名所旧跡をはじめ、藩内各地の産物も詳細に記している。
この中に、鹿児島城下の飲食類として「蕎麦麺(そばきり)」「鮓(すし)」とならび、「加須底羅、其味極めて豊美なり」の一節がある。

加須底羅(カステラ)が日本に伝来した経緯は諸説ある。
(1)キリスト教を日本に布教させようとやってきたイエスズ会の宣教師が持ち込んだ。
(2)オランダから製法が流入した
という2つである。

(2)のケースは、いわゆる鎖国体制を築きつつある17世紀前半に、公式に海外との窓口となったのが長崎であったこと、その期間で唯一ヨーロッパの国で入稿を許されたのがオランダであることが根拠となっている。

(1)のケースは、こんぺいとう等さまざまな南蛮菓子が戦国大名らへの献上や信者獲得のために16世紀中期にキリスト教宣教師により伝えられたことが根拠になっている。

いずれにしても、鹿児島は1549(天文18)年にキリスト教が日本で初めて上陸した地であり、ザビエルはイエスズ会結成にかかわった中心人物である。
南蛮貿易もおこなわれていたことを考えると、カステラ製造は全国的にみても早い時期におこなわれていたといえよう。
尚古集成館副館長の松尾千歳氏によると、鹿児島とカステラの関りを記した史料として、1630(寛永7)年に3代将軍・徳川家光が桜田薩摩藩邸を訪ねた際にふるまったものがあるという。
このことは、薩摩藩が鹿児島の銘菓としてカステラの味に自信をもっていたことにほかならない。
気軽に食べられる値段ではなかったようだが、「三国名勝図会」に記されているのは、特権階級のみが入手できたものではなく、広く城下において庶民も口にすることができたことを意味する。実はカステラは、「いも焼酎」よりも長い歴史をもつ鹿児島銘菓なのである。


※ 著:深見聡(長崎大学県境科学部准教授)
※くろぶたねっと『鹿児島へいらっしゃ~い』第20回より抜粋

ザビエル鹿児島滞在記念碑ザビエル鹿児島滞在記念碑