掲載日2011/09/20 ライター:深見聡(ふかみさとし)
1975年、鹿児島市生まれ。2001年12月、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで初代代表理事を務める。
2008年10月より長崎大学環境科学部准教授、2011年4月より長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科環境科学領域准教授。学術博士(観光地理学・地域づくり論)、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長、かごしま環境未来館講座講師。主著に『観光とまちづくり―地域を活かす新しい視点―』(2010年、古今書院)、『鹿児島の史と景を歩く-街めぐり14コース-』(2004年、南方新社)。
前回は、鹿児島のお菓子についてご紹介しました。自然薯や黒糖など、地元の素材をふんだんに使った素朴な味の数々は、鹿児島の風土に根づき受け継がれてきたものです。お菓子以外にも、糸瓜(ヘチマ)や苦瓜(ニガウリ:ゴーヤーのことを鹿児島ではこう呼びます)を伝統的に食べてきたのは、日本では沖縄と鹿児島を中心とする南九州地域なのです。鹿児島に足をのばすときには、ぜひこれら食の魅力を訪ねるのも一興です。
そこで今回は、鹿児島市内にある名店の味比べが楽しめる「両棒餅」をご紹介しましょう。
▼磯海水浴場付近のある平田屋の両棒(ぢゃんぼ)餅。向田邦子もこの味を楽しんだようだ
▼仙巌園内にある両棒屋
▼仙巌園内にある両棒屋の両棒餅はみそ味としょうゆ味ベースの2種類が楽しめる

数ある鹿児島の伝統食のなかでも、最難関の読み方をするものといえばこの両棒餅でしょう。両=「りゃん」、棒=「ぼ」がなまって、「ぢゃんぼ」の呼び名が定着したと考えられています。 由来には諸説ありますが、代表的なものとして次の2つが知られています。
今をさかのぼること約670年、時代は鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇による建武の親政も失敗し、日本中が北朝と南朝という2つの天皇家を擁立し武家の勢力争いが繰り広げられていました。鹿児島では南朝の勢力を立て直すために、後醍醐天皇の子の懐良(かねなが)親王(1329?~1383)が鹿児島市南部の谷山の地に御所を構えます。当時、親王は10歳前後ですから、親王を招いた豪族は何か好物はないかと工夫を重ねたといわれます。そこで出されたものが、一口サイズの焼き餅に二本の棒をさしたものでした。親王はたいそうこの味を気に入り、この品の名は何かと尋ねられ、とっさに答えた名前が「両棒餅」でした。
江戸時代、武士たちが二本の刀を脇に携えている姿が原型となって、2本の棒をその脇差になぞらえた「両棒餅」が生まれました。
今となっては、いずれの説もどちらが正しいと断定することは難しいのですが、谷山が発祥とする書物が多く、(1)の逸話も「両棒」の命名に何らか関係していたといえるでしょう。
▼両棒餅発祥の地と言われる谷山でも唯一両棒餅が食べられる慈眼寺公園。
▼慈眼寺公園の両棒餅。清流の音を聞きながら食べる両棒餅もいいものだ。

本連載第34回でも登場した作家・向田邦子。1939(昭和14)年1月から約2年間を鹿児島市で過ごし、昭和10年代の鹿児島のようすがエッセイのなかで多く登場します。
母がこの『じゃんぼ』を好んだこともあって、鹿児島にいる時分はよく磯浜に出かけた。海に面した貸席のようなところへ上り、父はビールを飲み、母と子供たちは大皿いっぱいの『じゃんぼ』を食べる。このあと、父は昼寝をし、母と子供たちは桜島をながめたり砂遊びをしたりして小半日を過ごすのである。
(文春文庫『父の詫び状』所収「細長い海」より)
当時訪れたのは、磯海水浴場に面した桐原家の座敷と思われます。1979年に38年ぶりの鹿児島を訪ねた時には平田屋で両棒餅の味を懐かしんでいます。
また、1995年公開の映画『男はつらいよ』最終作(第48作)「寅次郎紅の花」では、寅さんが中川家で両棒餅を食べる場面があります。他にも、磯海水浴場の付近には両棒餅屋がならび、みそ味やしょうゆ味をベースとしたさっぱりとした甘だれの味が人気を集めています。
このほか、島津家別邸の仙巌園内や、谷山にある慈眼寺公園そうめん流しの売店でも両棒餅に舌鼓を打つことができます。
〔参考文献〕NPO法人かごしま文化研究所・NPO法人かごしま探検の会(2003):『向田邦子 かごしま文学散歩』K&Yカンパニー
3年あまりにわたって連載してきました「鹿児島へいらっしゃ~い!」は、今回をもって終了することとなりました。ご愛読いただきました皆様、本当にありがとうございました。この間、私自身も思いがけず鹿児島を離れ、改めて鹿児島のもつ魅力に気づくことの連続でした。鹿児島は、黒豚をはじめとする食文化や、それを支えてきた自然や歴史にあふれています。
「くろぶた.ねっと」をこれからもどうぞごひいきに。
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