掲載日2010/01/12 ライター:深見聡(ふかみさとし)
1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。
2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。
長崎銘菓といえば、やはり一番に頭に浮かぶのは「カステラ」である。1624(寛永元)年に創業した福砂屋をはじめ、江戸時代初期からの老舗が複数あり、こだわりの製法を受けついでいる。長崎で暮らすようになり1年半ほどになるが、数ある長崎名産のなかでも手土産を選ぶときには結局カステラを買い求めることが多い。しかし、江戸時代の薩摩銘菓にカステラがあったことはあまり知られていない。
また、鹿児島の代名詞ともいえる「いも焼酎」。多くの銘柄が全国で人気を博し、「薩摩焼酎」の名は、いまやWTO(世界貿易機関)において産地表示の保護指定を受けるほどまでに知れ渡っている。しかし、現在まで残るいも焼酎の醸造元は幕末期に創業したものがもっとも古い部類にはいる。ということは、いも焼酎の歴史は150年ほどと上に書いたカステラよりずっと新しいのであろうか。
今回は、鹿児島名産としての「カステラ」と「いも焼酎」の歴史をご紹介しよう。
▼ザビエル鹿児島滞在記念碑
このコーナーでも何回か登場する『三国名勝図会』は、1843(天保14)年にまとめられた薩摩藩の地誌書である。寺社・名所旧跡をはじめ、藩内各地の産物も詳細に記している。このなかに、鹿児島城下の飲食類として「蕎麦麺(そばきり)」「鮓(すし)」とならび、「加須底羅、其味ひ極めて豊美なり」の一節がある。
加須底羅(カステラ)が日本に伝来した経緯は諸説ある。(1)キリスト教を日本に布教させようとやってきたイエズス会の宣教師がもちこんだ、(2)オランダから製法が流入した、という2つである。(2)のケースは、いわゆる鎖国体制を築きつつある17世紀前半に、公式に海外との窓口となったのが長崎であったこと、その期間で唯一ヨーロッパの国で入港を許されたのがオランダであることが根拠となっている。(1)のケースは、こんぺいとう等さまざまな南蛮菓子が戦国大名らへの献上や信者獲得のために、16世紀中期にキリスト教宣教師により伝えられたことが根拠となっている。
いずれにしても、鹿児島は1549(天文18)年にキリスト教が日本で初めて上陸した地であり、ザビエルはイエズス会結成にかかわった中心人物である。南蛮貿易もおこなわれていたことを考えると、カステラ製造は全国的にみても早い時期におこなわれていたといえよう。尚古集成館副館長の松尾千歳氏によると、鹿児島とカステラの関わりを記した史料として、1630(寛永7)年に3代将軍・徳川家光が桜田薩摩藩邸を訪ねた際にふるまったものがあるという。このことは、薩摩藩が鹿児島の銘菓としてカステラの味に自信をもっていたことにほかならない。
気軽に食べられる値段ではなかったようだが、『三国名勝図会』に記されているのは、特権階級のみが入手できたものではなく、広く城下において庶民も口にすることができたことを意味する。実はカステラは、「いも焼酎」よりも長い歴史をもつ鹿児島銘菓なのである。
▼「薩摩焼酎」生みの親・島津斉彬
コラム第9回でも少しふれたが、斉彬は集成館事業をすすめるなかで、工業用アルコールの原料を米からさつまいもに転換した。それ以前にも、薩摩藩では自家製でいも焼酎は飲まれていたらしいが、商品として流通していたのはもっぱら米焼酎であった。集成館事業が、佐賀藩や長州藩の幕末近代化事業と一線を画すといわれる理由は、軍備の増強にとどまらず、在来の多くの産業振興をも重視している点にある。
シラス台地に覆われ米の適作地に乏しい鹿児島で、米を多く消費するのでは高コストになってしまう。斉彬自身、安い値段のさつまいもなら大量製造が可能であり、工業用のみならず、飲用として新たな特産品に育てたいと考えていた。
斉彬を祭神とする照国神社の傍らに、斉彬の銅像が建っている。「薩摩焼酎」生みの親としての一面は、幕末の名君にちょっとした親しみを持たせてくれる。
| 第23回 龍馬の「新婚旅行」の足跡を訪ねて | 掲載日2010/08/11 | ライター:深見聡 |
| 第22回 鹿児島の夏を呼ぶ六月燈 | 掲載日2010/06/10 | 監修:深見聡 |
| 第21回 坂本龍馬と薩摩 | 掲載日2010/04/21 | 監修:深見聡 |
| 第20回 鹿児島名産「カステラ」と「いも焼酎」 | 掲載日2010/01/12 | ライター:深見聡 |
| 第19回 天文館界隈をあるく(1) | 掲載日2009/12/10 | ライター:深見聡 |
| 第18回 百年超の駅舎・嘉例川駅 | 掲載日2009/11/10 | ライター:深見聡 |
| 第17回 温泉めぐり(3) ―栄之尾温泉と硫黄谷温泉― | 掲載日2009/10/14 | ライター:深見聡 |
| 第16回 山ヶ野金山を訪ねて | 掲載日2009/09/11 | ライター:深見聡 |
| 第15回 薩摩硫黄島紀行(2) | 掲載日2009/08/10 | ライター:深見聡 |
| 第14回 薩摩硫黄島紀行(1) | 掲載日2009/07/08 | ライター:深見聡 |
| 第13回 維新期の薩摩は日本一の火薬製造の地 | 掲載日2009/06/05 | ライター:深見聡 |
| 第12回 温泉めぐり(2) ―和気湯と犬飼の滝― | 掲載日2009/05/07 | ライター:深見聡 |
| 第11回 温泉めぐり(1) ―鰻池― | 掲載日2009/04/09 | ライター:深見聡 |
| 第10回 篤姫探訪(7) ―「今和泉島津家屋敷と鶴丸城二の丸庭園」― | 掲載日2009/03/09 | ライター:深見聡 |
| 第9回 篤姫探訪(6) ―篤姫の養父・斉彬の夢みた「近代化事業」― | 掲載日2009/02/10 | ライター:深見聡 |
| 第8回 篤姫探訪(5) ―それぞれの明治維新後― | 掲載日2009/01/07 | ライター:深見聡 |
| 第7回 篤姫探訪(4) ―幻の宰相・小松帯刀の足跡をたどる― | 掲載日2008/12/10 | ライター:深見聡 |
| 第6回 篤姫探訪(3) ―福昌寺跡と琉球人松― | 掲載日2008/11/11 | ライター:深見聡 |
| 第5回 篤姫探訪(2) ―篤姫の好んだ食べもの― | 掲載日2008/10/10 | ライター:深見聡 |
| 第4回 篤姫探訪(1) ―今和泉島津家本邸跡と上町五社― | 掲載日2008/09/10 | ライター:深見聡 |
| 第3回 鹿児島市街の近代化遺産(2) -用途の変遷をへて残る遺産編- | 掲載日2008/08/07 | ライター:深見聡 |
| 第2回 鹿児島市街の近代化遺産(1) -現役の建物編- | 掲載日2008/07/17 | ライター:深見聡 |
| 第1回 薩摩の肉食文化-琉球館跡- | 掲載日2008/06/11 | ライター:深見聡 |