鹿児島へいらっしゃ~い!鹿児島の地理・歴史をたずねる鹿児島フリーク「NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」が語る、こだわりの鹿児島コラムをお楽しみください。おもしろいところがたくさんありますよ。

天文館界隈をあるく(1)

掲載日2009/12/10 ライター:深見聡(ふかみさとし)

1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。

2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。

全国各地をまわると、印象的な繁華街の名に出合うことがある。昨秋から暮らしはじめた長崎では、観光通りや思案橋通りがよく知られる。一方、長崎で知り合った友人や学生らに、「鹿児島」と聞いて挙がる通り名を訊くと、ほぼ全員の口から「天文館」の答えが返ってきた。このように、それぞれの街にはそこに住む人や訪れる人に何らかの原風景ともいえる風情を伝える通り名が残っている。

今回は、天文館地区界隈の歴史をたずねてみよう。

▼「天文館通」は鹿児島弁では「てんもんかんどおい」となる

天文館通り石碑

天文館の碑

天文館とは、もとは1773(安永8)年、第8代薩摩藩主島津重豪(しまづ・しげひで)が暦をつくるために創設した天文観測所・明時館の別名である。明治初期まで、日本では江戸・東京で作成した太陰暦(旧暦)が用いられていた。しかしこれでは薩摩は、江戸とは日の長さも異なり、暦のもっとも大切な役割である農事で不便を強いられることになる。いまでも、テレビの生中継で、東京は真っ暗でも鹿児島はまだ空が明るいという様子を目にしたことがあるだろう。重豪は幕府に特別の許可をもらい、独自の薩摩暦を生みださせた。

繁華街としてのイメージは、西南戦争後に西本願寺鹿児島別院がいまの場所に建立されて以降、次第に定着していった。明治・大正初期の市街地図を眺めると、いまの天文館通りの場所には「中福良通り」の文字がある。このような通り名の消長に注目してみるのも、街の変遷を知れて面白い。私たちが「天文館」とよぶ繁華街の名は、正式な町名ではなく、そのためはっきりとしたエリアが決まっていない。天文館通りを中心としつつ、次第に拡大する商店街の範囲を、私たちは便宜上「天文館」と呼んでいるのである。最近のある調査では、天文館地区の北境は、最近では朝日通りとするのが一般化してきた。繁華街の分布とともに、天文館がさす街の範囲も次第に広がっていった結果といえよう。

【MAP】天文館通り
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

▼朝日通り交差点の一角にある近代化遺産・南日本銀行本店

南日本銀行本店

朝日通りを歩く

朝日通りは、西郷隆盛銅像前を起点とし、中央公園と宝山ホール(県文化センター)にはさまれて鹿児島本港側に延びるが、この由来は、「ここから見て、錦江湾の位置する東の方角から朝日が昇ってくるからついた」と容易に想像できる。一見、ずいぶんと最近の命名のような印象をうけてしまう経緯だが、実は、天文館通りの名より長い歴史を持っている。

もとは、公園とホールの間に道はなく、繋がった敷地になっていた。幕末には、大河ドラマ『篤姫』で功績の再評価がすすんだ、薩摩藩家老・小松帯刀の屋敷があった。このことから、ホールの入り口横に彼の像が建っているのである。1878(明治11)年、ここを二つの区画に分けて新設された道を、ときの為政者が朝日通りと名づけたという。当時、小松屋敷跡の敷地には県庁舎があった。県は、そこから錦江湾に一直線状に朝日通りを造ったものの、これが県民の思わぬ批判の矢面にさらされた。

西南戦争前、県庁職員のほとんどは県内出身者だったが、戦後は一転して県外出身者が多数を占めるようになった。明治政府による鹿児島県政の監視強化が図られたのである。西郷を慕う人々のなかには、「いざヨソ者が居座る県庁が襲撃されたら、職員が一目散に桜島桟橋に逃げるための道路」と酷評する声もあったという。

1896(明治29)年、朝日通りは国道58号となる。国道は海を渡って種子島・奄美大島を経由して、那覇市泉崎交差点まで続く。県里程元標は、朝日通りに面して、かつて県庁の置かれていた中央公園と西本願寺の面した交差点の一角に残されている。里程元標とは、幹線道路の起終点や経過地を表示する標識をいう。本標は1902(明治35)年に建てられた。

また、朝日通り交差点の一角には、南日本銀行本店がある。県技師の三上昇が設計し、1937年に完成。アーチ窓やコリント式列柱は、当時流行した近代建築の様式を反映している。また、竣工とほぼ同時に屋上庭園も設けた。現在も社員の休憩場として利用されている。1998年、県内初の国の登録有形文化財に指定された。近くには、1879年に第147国立銀行として誕生した鹿児島銀行別館(1918年竣工)もある。

このほかにも、天文館には野菜町通り・納屋通りといった、街に歴史を伝える名が多く残っている。ときにはこれらを訪ね、往時の姿を思い描くのも楽しい。

天文館交差点のようすは、NPO法人かごしまライブカメラネットワークが運営するウェブから見ることができる。http://kagoshima-live.com/tenmonkan.html

【MAP】南日本銀行本店
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)
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