鹿児島へいらっしゃ~い!鹿児島の地理・歴史をたずねる鹿児島フリーク「NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」が語る、こだわりの鹿児島コラムをお楽しみください。おもしろいところがたくさんありますよ。

第16回 山ヶ野金山を訪ねて

掲載日2009/09/11 ライター:深見聡(ふかみさとし)

1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。

2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。

鹿児島といえば、火山に温泉というイメージがすぐに浮かぶ。 前号でご紹介した薩摩硫黄島の硫黄岳のほか、桜島・霧島はいまも白煙をあげる。 また、その近くには必ず温泉がわいており、私たちの体を癒してくれる。 一方、鹿児島は日本一の金の産地ということは、意外にもあまり知られていない。 なぜ、鹿児島には金鉱山が多いのであろうか。 これは、金が地下でどのように生成されているのかと深いかかわりがある。 地下にはさまざまな岩石が存在するが、熱水による変成作用を受けることで金鉱石がつくられていく。 つまり、火山や温泉と、金が多く産出することは一体の存在ということもできる。

今回は、江戸時代を中心に栄えた山ヶ野金山をご紹介する。

▼さつま町永野に残る主坑道

さつま町永野に残る主坑道

300年の歴史をもつ金山のまち

鹿児島おはら節に「花は霧島、煙草は国分」の一節がある。これは、江戸前期に、島津久通(宮之城島津家第4代当主)が、霧島市国分地域での煙草栽培を奨励したことに由来する。また、久通は、金鉱採掘にも取り組み、1640(寛永17)年、山ヶ野金山の操業を開始した。周囲3里20町余り(約12km)を柵で囲い金山と名づけ、東西2か所に番所を置いた。『金山万覚』によると最盛期には15の鉱山所と36の町に約1万2千の人びとが暮らしていたという。江戸から遊女を招き、長崎・門司とともに九州三大遊郭の一つに数えられた田町遊郭が置かれた。その後、次第に産出量は減ったものの、藩の財政を潤してきた。

廃藩置県により、金山の運営は島津家に移った。1877(明治10)年、フランス人技師ポール・オジエを雇い、蒸気による杵の運転など機械化を進め、川下には金鉱石から金を採りだす青化精錬所をおくなど、近代化が図られた。一方で、藩政時代からの水車動力の技術も見直され明治20~30年代には約300台が用いられていた。

その後、1907(明治40)年に、さつま町永野に電力による精錬所が完成して以降、次第に山ヶ野を離れる鉱夫が増え、往時の賑わいは次第に失われていった。1912年には西郷隆盛の子・菊次郎が鉱業館長に就任、戦後は麻生鉱業の協力を得て「夢よ再び」の機運が高まったものの、1958(昭和33)年、ついに300年余り続いた歴史に幕を下ろした。

約2km離れた山ヶ野集落とさつま町永野集落は坑道でつながれ、くもの巣状に斜坑や竪坑が伸び、鉱山の規模の大きさがしのばれる。

【MAP】坑道
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

▼幕末の地誌書『三国名勝図会』に描かれた山ヶ野金山

(写真をクリックすると拡大図がご覧いただけます)

幕末の地誌書『三国名勝図会』に描かれた山ヶ野金山

▼現在の山ヶ野集落のようす

現在の山ヶ野集落のようす

『三国名勝図会』にみる賑わいのようす

1640年に幕府が採掘許可を出して以降、薩摩藩各地からはもちろん、他藩から採掘に夢を託した人びとが集まった。その数は、産出のピークを過ぎた19世紀中頃(『三国名勝図会』が刊行されたころ)でも1千人に達していた。薩摩藩領内への立ち入りは、ときに二重鎖国とよばれるほど厳重で困難であったという。しかし、鉱脈を掘り当てるには熟練の技術が必要であることから、他藩から山師など専門知識をもった人びとの力が必要とされたのである。

また、佐渡金山のように、幕府や藩による直轄経営ではなく、自稼の方式をとった。これは、採金請負業ともよばれ、鉱石を石臼などで細かくし、金のみを選り分け、それを精錬して藩の奉行所に納め、その金の品位により代金を受け取る仕組みである。

『三国名勝図会』には、金の粒が鉱石のなかにどのように含まれているのかを「砂石の内に粟米大豆を雑(まじ)へたる如くなる」(砂金)、あるいは「水晶に細筋あるいは漫文に(ばらばらに)金」が付いているといったように、描写に苦慮した跡がうかがえる。「其の道を知らざれば、数万両の金石眼前にありといへども、かつて知ることなし」と、金採掘は素人では難しいことも記している。

今回の挿絵は、坑道近くで鉱石を粉末状にして金を採り出すようす(左側挿絵)と、精錬した金を秤にかけ品質などを吟味している場面(右側挿絵)である。一時期は佐渡金山をしのぐ産出を誇るほどで、天降川の川筋直しと新田開発の財源を賄うことにもなった。

【MAP】山ヶ野集落
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)
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