掲載日2009/08/10 ライター:深見聡(ふかみさとし)
1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。
2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。
7月22日、国内では46年ぶりとなる皆既日食は、残念ながら厚い雲に覆われ観測することは叶わなかった。しかし、一方でトカラ(吐噶喇)列島(鹿児島郡十島村)をはじめとする薩南諸島の島々の自然や歴史、人びととの交流が広く国内外に知られる契機となったことは間違いない。前回に引き続き、今回も薩摩硫黄島(鹿児島郡三島村)の自然や文化をご紹介し、時を忘れさせる島の魅力の一端に触れていただきたい。
▼平安時代末期の源平合戦ゆかりの地・俊寛堂
村営船「みしま」は、鹿児島本港南埠頭を出発し硫黄島港まで約5時間かけて結ぶ。途中の寄港地・竹島を過ぎると、次第に航路の先方に白煙をあげる硫黄岳がはっきりと見えるようになる。さらに進むと、突如、船の右側に海から突き出した岩礁がある。これは昭和硫黄島といい、1934(昭和9)年から翌年にかけて起こった海中噴火により誕生した。噴火時には、硫黄島の東約2km、深さ約300mの海底から、最大30mの長さのある軽石が海上に噴出している。硫黄島の恋人岬の絶壁は、鬼界カルデラ(陥没火山)の火口壁と紹介したが、ここは紛れもない生きたカルデラが存在する地なのである。
鬼界カルデラの語源は、硫黄島がかつて鬼界ヶ島と呼ばれていたことに由来する。白煙をあげ赤褐色の海面がそのような名を起草させたといえる。さらにその名が広く知られるようになったのは、琵琶法師による口承文学として有名な『平家物語』である。1177(治承元)年、平氏政権打倒を企てた鹿ケ谷の変の首謀者として、俊寛・藤原成経・平康頼がこの地に流罪となった。翌年、恩赦船が島にやってきたが、俊寛だけは許されず生涯ここで暮らした。彼の流された地は、長崎市の伊王島や奄美群島の喜界島(もとは「喜界」に「鬼界」の文字が充てられていた)の説がある。しかし、俊寛が鬼界ヶ島に出港したとされる鹿児島市中町には「俊寛堀」の名も残されていることなどから、薩摩硫黄島説がもっとも有力視されている。島の中央には、俊寛が庵を構えたという俊寛堂が復元されている。車道から庵までの歩道は、一面に苔を配してあり、活火山の島とは対照的な静寂の空間が広がっている。1995年には、硫黄島港に面した総合開発センター敷地に俊寛像が建てられた。
▼集落の南側にあるジャンベスクール
島の北西側に、600mの滑走路をもつ薩摩硫黄島飛行場がある。1973年にヤマハリゾートにより開設。1994年度からは三島村に移管され国内初の村営飛行場となった。一時期、枕崎空港との定期便があったが、現在は遊覧飛行や個人所有の小型飛行機が利用するのみである。また、現在は「冒険ランドいおうじま」として鹿児島市が運営する野外体験施設のある場所に、かつてホテルがあり、孔雀が飼育されるなど南の楽園の島を演出した観光開発がおこなわれたことがある。しかし最近でも、国などが実施する観光可能性調査の類ではほぼ最上級の評価がなされている。とくに、エコ・ツーリズムという言葉がよく聞かれるようになったが、これは自然や文化といった地域のもつありのままの姿を楽しむという、団体観光とは異なる特徴を持っている。村営船「みしま」は、今年度、鹿児島港から竹島・硫黄島・黒島を経て折り返し運行していた航路を、黒島から枕崎港まで延長する社会実験にふみ切る。恋人岬や硫黄岳6合目にある展望台からの眺めは、とくに訪れる私たちにひと時の時を忘れさせてくれる気がする。また、集落とその周辺の道はカメリア(椿)ロードと呼ばれている。島の基幹産業のひとつである椿油の採取を目的に植栽された。また、アフリカの太鼓・ジャンベの世界的第一人者として知られるママディ・ケイタ氏の協力で、旧硫黄島小中学校舎にジャンベスクールが開校し、観光客は体験もできる。
薩摩硫黄島は、鹿児島県に約30ある魅力あふれる有人島のなかでも、私がとくに訪ねてほしい島のトップに掲げたい。
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