鹿児島へいらっしゃ~い!鹿児島の地理・歴史をたずねる鹿児島フリーク「NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」が語る、こだわりの鹿児島コラムをお楽しみください。おもしろいところがたくさんありますよ。

第13回 維新期の薩摩は日本一の火薬製造の地

掲載日2009/06/05 ライター:深見聡(ふかみさとし)

1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。

2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。

日本の「近代化」の特徴は、在来技術と西洋技術の融合により、独自の実用化や発展が図られた点にある。2008年9月、文化庁は鹿児島市の集成館や長崎市の端島(軍艦島)など「九州・山口の近代化産業遺産群」を、非西洋地域における近代化先駆けの地として、世界遺産暫定リストに含めることを決定した。これは、私たちの近代的生活の歩みの再評価を試み、未来を志向するという視点が高まってきていることの証といえる。

今回は、島津斉彬をはじめ、幕末にみられた薩摩藩での近代化事業の足跡のうち、「火薬製造」に焦点をしぼってご紹介しよう。

▼滝之上火薬製造所跡。1993年の8.6豪雨で製造所の痕跡はほぼ消失

滝之上火薬製造所跡。1993年の8.6豪雨で製造所の痕跡はほぼ消失

滝之上火薬製造所

川上町と下田町の境付近に位置する関吉地区には、稲荷川の上流である別名・あべ※木 [※木へんに青] (あべき)川から引かれた全長約8kmにおよぶ疎水溝の分岐点(取水口)が、今もはっきりと残されている。

もとは享保年間(1716~36年)に、磯の島津氏別邸・仙巌園の庭内泉水に用いるためのものであったが、幕末に11代藩主・島津斉彬が進めた集成館事業を本格化させるために、水車動力源の導水として再整備され使われた。斉彬は、蒸気機関の実用化に目処が立たない状況をみて、在来の水車技術による代替を図ったのである。溶鉱炉の水車鞴(ふいご)、大砲の鑚開(さんかい)などで水車動力が活躍したが、実は集成館事業の以前から、水車動力の利用は藩内各所でみられた。代表的なものが、国道10号の磯トンネル南側にあった文政年間(1818~30年)設立の滝之上火薬製造所で、稲荷川の水力を使い火薬を製造していた。このような産業的背景が、斉彬の疎水溝の活用への発想の転換に結びついたといえる。

今でも、取水口からしばらくは水田地帯を流れ灌漑用水として使われており、一本の水路として追跡できる。途中、住宅地開発のためいったん途切れてしまったが、雀ヶ宮付近から再びその痕跡が現れる。さらにその先は隧道を経て、吉野のシラス台地下に位置する磯に達していた。

※現在は「滝之神」と表記されていますが、もとは「上」が使われていました。そこが火薬庫になったときに、火の神様をお祭りしたことから、「神」の字も使われるようになったといわれています。そのため、火薬製造所の名称としては、 ここでは「上」を使用するのが一般的です。

【MAP】滝之上
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

▼敷根火薬製造所跡。いまも勢いのある水路と水車利用のための石組みが残る

敷根火薬製造所跡。いまも勢いのある水路と水車利用のための石組みが残る

敷根火薬製造所跡

霧島市の国分市街地から、国道220号を垂水市方面にすすむと、国分ふれあいバス「赤川」停留所がある。かつて、この付近に国鉄大隅線の敷根駅がおかれていたが、1987年3月の廃止から20年以上たち、この跡をしのべるものはない。ここから高橋川を目指して歩を進めると、シラス台地と錦江湾にはさまれた狭隘な低地が広がる。この地こそ、滝之上火薬製造所の分局として、1863年の薩英戦争前後に設置された敷根火薬製造所一帯の跡である。

滝之上のところでもふれたように、薩摩藩の幕末近代化事業では、蒸気ではなく在来の水車を動力源に利用しているのが特徴的であり、ここ敷根を河口にもつ高橋川の水流が日本で初めてといわれる水車タービンの実用化を成功に導いている。また、火薬をつくるには硫黄が不可欠である。幸いに鹿児島は火山王国といえるほど活火山の数も多い。薩摩硫黄島や霧島で産出したものを原料に用いた。このような工場群は全国的にみてもその規模は群を抜き日本一を誇った。最盛期には100人を超える工員が働き、生産量は年間40tにのぼった。

近代装備を備えた討幕軍として、戊辰戦争などで使われた火薬は、薩摩の近代産業の中心的存在であった。しかし、1877年の西南戦争では、薩軍に利用される危険を察した政府軍によって取り壊された。

『薩藩海軍史』には、製造所が稼動していた当時の唯一の写真が収められている。工場そのものは、わずか約15年でその幕を下ろすことになったものの、のちに敷根火薬製造所から6人の技術者が東京に招かれ、目黒の海軍火薬製造所の創業に尽力した。

【MAP】敷根
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

滝之上と敷根は、磯の集成館事業とならぶ日本近代化先駆けの地なのである。

バックナンバー
第23回 龍馬の「新婚旅行」の足跡を訪ねて 掲載日2010/08/11 ライター:深見聡
第22回 鹿児島の夏を呼ぶ六月燈 掲載日2010/06/10 監修:深見聡
第21回 坂本龍馬と薩摩 掲載日2010/04/21 監修:深見聡
第20回 鹿児島名産「カステラ」と「いも焼酎」 掲載日2010/01/12 ライター:深見聡
第19回 天文館界隈をあるく(1) 掲載日2009/12/10 ライター:深見聡
第18回 百年超の駅舎・嘉例川駅 掲載日2009/11/10 ライター:深見聡
第17回 温泉めぐり(3) ―栄之尾温泉と硫黄谷温泉― 掲載日2009/10/14 ライター:深見聡
第16回 山ヶ野金山を訪ねて 掲載日2009/09/11 ライター:深見聡
第15回 薩摩硫黄島紀行(2) 掲載日2009/08/10 ライター:深見聡
第14回 薩摩硫黄島紀行(1) 掲載日2009/07/08 ライター:深見聡
第13回 維新期の薩摩は日本一の火薬製造の地 掲載日2009/06/05 ライター:深見聡
第12回 温泉めぐり(2) ―和気湯と犬飼の滝― 掲載日2009/05/07 ライター:深見聡
第11回 温泉めぐり(1) ―鰻池― 掲載日2009/04/09 ライター:深見聡
第10回 篤姫探訪(7) ―「今和泉島津家屋敷と鶴丸城二の丸庭園」― 掲載日2009/03/09 ライター:深見聡
第9回 篤姫探訪(6) ―篤姫の養父・斉彬の夢みた「近代化事業」― 掲載日2009/02/10 ライター:深見聡
第8回 篤姫探訪(5) ―それぞれの明治維新後― 掲載日2009/01/07 ライター:深見聡
第7回 篤姫探訪(4) ―幻の宰相・小松帯刀の足跡をたどる― 掲載日2008/12/10 ライター:深見聡
第6回 篤姫探訪(3) ―福昌寺跡と琉球人松― 掲載日2008/11/11 ライター:深見聡
第5回 篤姫探訪(2) ―篤姫の好んだ食べもの― 掲載日2008/10/10 ライター:深見聡
第4回 篤姫探訪(1) ―今和泉島津家本邸跡と上町五社― 掲載日2008/09/10 ライター:深見聡
第3回 鹿児島市街の近代化遺産(2) -用途の変遷をへて残る遺産編- 掲載日2008/08/07 ライター:深見聡
第2回 鹿児島市街の近代化遺産(1) -現役の建物編- 掲載日2008/07/17 ライター:深見聡
第1回 薩摩の肉食文化-琉球館跡- 掲載日2008/06/11 ライター:深見聡
このページのTOPへ