鹿児島へいらっしゃ~い!鹿児島の地理・歴史をたずねる鹿児島フリーク「NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」が語る、こだわりの鹿児島コラムをお楽しみください。おもしろいところがたくさんありますよ。

連載第8回 篤姫探訪(5) ―それぞれの明治維新後―

掲載日2009/01/07 ライター:深見聡(ふかみさとし)

1975年、鹿児島市生まれ。2001年、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで代表理事を務める。

2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。かごしま環境未来館などの市民講座の講師、長崎県美しいまちづくり審議会委員などを務める。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎからの番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光学・人文地理学)。

NHK大河ドラマ『篤姫』の放送が終了した。全50回にわたり視聴率は20%を超え、幕末ものは当たらないというジンクスを見事破ることになった。分かりやすいストーリー展開といった制作上の工夫もさることながら、やはり篤姫をはじめ激動期にそれぞれの役割をもって生き抜けた姿にわれわれ現代人が共感を覚えたからではないだろうか。

今回・次回は、大河ドラマ『篤姫』に登場した人物たちの維新後のようすなどを、ドラマの場面と対比しながら鹿児島のまちに訪ねてみよう。

▼篤姫の実母お幸や兄忠敬が眠る今和泉島津家の墓

篤姫の実母お幸や兄忠敬が眠る今和泉島津家の墓

今和泉島津家の人びと

近世から近代にかけて、鹿児島市内でもっとも規模の大きな墓地は、南林寺墓地であった。現在の天文館にある地蔵角交番から南側に、約9万基もの墓石がならび、市民はもとより多くの名士たちも眠っていた。その後、市街地の拡大にともない大正期に改葬事業をおこない、郊外へと移転した。結果、鹿児島市内には、シラス台地斜面を段々状に造成した墓地が多く誕生していったのである。

その一つの郡元墓地には、明治以降の今和泉島津家の墓がある。篤姫の実父・島津忠剛は、篤姫が薩摩を発った翌年の1854(安政元)年に没し、指宿市にある今和泉島津家墓地に葬られた。時代は明治になり、新政府が発した神仏分離令により廃仏毀釈の嵐が薩摩藩をおそう。藩内1616寺院の全廃は、島津本家の歴代当主が眠る福昌寺をはじめ、今和泉島津家の菩提寺であった光台寺も含まれる。そのため、忠剛の正室で篤姫の実母・お幸は1869(明治2)年11月に60歳で亡くなり、はじめは吉野の雀ヶ宮墓地、のちに現在の郡元墓地に改葬された銘碑にも戒名ではなく神号が記されている。廃仏毀釈で神道へと改宗したことがわかる。篤姫の次兄・忠敬(ただゆき)は、1894(明治27)年1月、62歳で没。ドラマにもあったように、1863(文久3)年の薩英戦争に従軍し活躍したと伝わる。『篤姫』最終回で、維新後に2人は上京し、篤姫と再会するシーンがあった。史実としては終生再会できなかったというのが定説である。

郡元墓地には、このほかにも、薩摩藩島津御一門家に次ぐ家格である一所持格の川上氏や、獅子文六の小説『海軍』のモデルとなった横山正治少佐の墓もある。

【MAP】今和泉島津家の墓
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

▼郡元墓地からみた桜島.左奥には霧島連山もみえる

郡元墓地からみた桜島.左奥には霧島連山もみえる

調所・久光・幾島・・・

11代藩主・島津斉彬が集成館事業を強力に推進できたのは、曽祖父・重豪に無格のなかから才能を見出され、天保の財政・構造改革を成功に導いた調所広郷(1776-1848)ぬきには語れない。ドラマでは第2回までの登場だったが、質素倹約を徹底し、同時に黒糖や特産品の流通過程の合理化を自らの役割とした家老の存在感は大きいものがあった。子孫は、横浜在住で刀剣の外装である薩摩拵(こしらえ)の研究家として知られる。

斉彬の異母弟・久光は、西郷や大久保の手によって廃藩置県が断行されたことに激怒し、一晩中、鹿児島城下で花火を打ち上げさせて憂さ晴らしをしたという。一方では、明治新政府に乞われて1873(明治6)年~75年にかけては内閣顧問・左大臣を歴任するなど、人柄のよさがうかがえる。その後は隠居して玉里島津家を創設、現在、鹿児島市立鹿児島女子高校のある敷地に別邸を置き、史書編纂など好きな学問に没頭した。1887年12月に70歳で死去し、近代国家初の国葬がおこなわれた。

幾島は、篤姫のお輿入れの際の教育係や、戊辰戦争では討幕派の薩摩藩に対して、無血開城を嘆願する使者を務めたという。1870(明治3)年3月、63歳で東京で亡くなる。招魂墓は、郡元墓地の北側にある唐湊墓地の一角に建っている。長年、幾島の生没年などは不詳とされてきたが、墓の銘文から、文化5(1808)年生まれであることや、本名は朝倉 糸 といい、藩の側用人を務めた朝倉景矩の子であることが判明した。

【MAP】幾島の招魂墓
(Yahoo地図にて場所がご確認いただけます)

明治維新から約140年がたった今も、先人たちの歩みに勇気づけられたり、学ぶべきことは多い。そのことに思いを馳せることができるのが、意外にもこのような墓地散策といえるかもしれない。

時には、先人と無言の対話というのも必要な気がした。

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